物事にはさまざまな側面がある。
同じ物事であっても「穏かな面」「荒々しい面」「弱気な面」「心優しい面」などにより物事の性格を形づくっている。
自然は日の恵みや海の恵み大地の恵みをもたらし、緑の木陰や爽やかな風が人々を癒す。
反面、ときとして荒々しい風や日照り、大津波、大雨、地震などの災害をもたらす。
人や神の霊魂も同じであるという考えがある。
荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)という概念がある。
荒魂(あらみたま)とは、神の荒々しい側面のことである。ときに人の心を荒廃させ争いを生み出す。神の祟りは荒魂の表れであるといわれる。神の祟りは荒魂の表れである。
和魂(にぎみたま)とは、神の優しく平和的な側面のことである。日の恵みや、雨の恵み、慈愛がこれにあたる。
荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)は、同一の神であっても別の神にみえるほどの強い個性があるために、ときとして別の神として祀られることがある。
祟り神(たたりがみ)は荒御霊(あらみたま)であり、荒魂(あらみたま)として畏怖され忌避されるものであるが、手厚く祀りあげることで強力な守護神となる。
祀ることで荒魂(あらみたま)をやわらげ和魂(にぎみたま)にかえるのである。
荒魂(あらみたま)は新魂(あらみたま)に通じ、新しい事象を生み出す原動力(エネルギー)になりうるものである。
また荒魂(新魂)は邪悪とよばれるものではない。
力そのものに善悪はなく、人の心によって善悪がつけられるだけである。
神聖巫連盟はクーリンガンの持つ荒魂(あらみたま)の側面を新魂(あらみたま)にし、国の善き発展と国民や住まうものの幸せを願いながら祀ることにした。
クーリンガンは、カマキリに治療を施したり、子供を助けたり、また学問に秀でていることが知られている。
それはクーリンガンのなかの「和魂(にぎみたま)」の側面である。
そんなところからも、荒魂(あらみたま)の側面を新魂(あらみたま)としたり、和魂(にぎみたま)として「学問と子供の守り神」、子供達の護りとしての「護国の神」としてお祀りするのである。
国家の健やかな安定は、子供を護ることにつながるのだから。
また世界は「常世」(とこよ)と「現世」(うつしよ)があるといわれる。
現世(うつしよ)は人の住まう現実世界である。
常世(とこよ)は神の住まう国や神域とされる。
常世(とこよ)は
常世と書き、いわゆる天国であり不老不死や富や知恵をもたらす夜のない世界
常夜と書き、いわゆる地獄や死者の国、黄泉の国とされる。禍や厄災をもたらす、夜だけの世界。
という二面性をもつといわれる。
また神聖巫連盟(しんせいかんなぎれんめい)は「神和ぎ」(かんなぎ)「神薙ぎ」「神凪」を願って建国、命名された国である。
「神和ぎ」は森羅万象の神の心の安定をもたらすための「かんなぎ・神事」
「神薙ぎ」は農地の豊饒(ほうじょう・土地がよく肥える)、農業の豊穣(ほうじょう・豊かに実る)。また山崩れや風害などの災害を避けるための「かんなぎ・神事」
「神凪」は大漁や、漁業の安全や海浜部における高潮などの風害による災害を避けるための「かんなぎ・神事」
の意味がある。