一応考えましたが、信乃さんのでいい気がします。
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T15 神聖巫連盟戦は熾烈を極めた。
激しい戦闘の後。
不幸な大人や子どもをみて
ある者は思った。
弱きを守るための力が欲しいと。
またある者は思った。
神聖巫連盟を守ってくださる神々にささげられるようなものを作りたいと。
荒れた国内をみて。
畑や田を耕す鍬(くわ)や鋤(すき)。作物を刈り取る鎌(かま)、脱穀するための千歯扱き (せんばこき)。
豊かな実りをもう一度この国によみがえらせたい。目の前の飢えた子においしいものを食べさせたいと、思った者もいた。
荒れ果てた建物で夜露をしのぐ姿を見て、建物の復興を思った者もいた。
国民の様々な思いは「鍛冶師」という職業の発展に結びついた。
(イラスト)
そもそも神聖巫連盟は「戦いだけで生計を立てることのないように」という方針がとられている。
鍛冶師は主として鉄製品を扱い、刀子(とうす)などの刃物、金槌、鍬などの製造販売、修理を行う。
農業国でもある神聖巫連盟から鍛冶が発展したのは必然であったともいえる。
また鍛冶師は刀子に限らず、大工道具の製作も行っている。
これらが建築家の支えとなり、国の復興に役立ったのはいうまでもない。
☆刀子(とうす)とは。
長さ15〜30cm程度。ものを切る、削るなど加工の用途に用いられる工具の一種である。
一般的には加工工具として用いられる他、古代の東洋においては刀子は文人・文官を象徴するものでもある。
鍛冶師は職人でもある。
親方や兄弟子の仕事を目で覚え、自ら試行錯誤を何十年も繰り返してようやく基礎ができる。
「5年でタマゴ。10年でひよっこ。一生かけても満足いくものなんてそうはできやしないものさ」
とは、ある鍛冶師の言葉である。
そのため鍛冶師を名乗るのは名誉であるとともに、生半可な腕ではとても名乗ることなどできない。
作り上げたものは決して嘘をつかないからだ。
鍛冶師は、刀鍛冶、農具鍛冶(野鍛冶)・庖丁鍛冶など。作る品目により細かく分類されることもある。
刀や鍛冶で作ったものは神へのささげものにもしたりする。
また、鍛冶は神事でもある。装束を身につけ行程の節目に儀式を行う生業でもある。