神聖巫連盟 : 国内業務用掲示板

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T16用連絡つりー 藻女@神聖巫連盟 10/3/19(金) 20:42

修正中 藻女@神聖巫連盟 10/5/8(土) 20:39
Re:修正中 藻女 10/6/21(月) 1:00
一部完成 藻女 10/6/22(火) 1:36

修正中
 藻女@神聖巫連盟  - 10/5/8(土) 20:39 -
どういう使い方の予定かもう一度確認してから進めます
その前に編成進めます


神聖巫連盟。
藩王も国の寮に住まうお国柄である。
和風の王宮ともいえる政庁は住居などではなくもっぱら祭事(まつりごと)と政事(まつりごと)のために使われている。

王宮内にある「禊の間」の夜。
ここは天より地上に降り注ぎ、大地に潜った水が地上に再び生まれ出て川が始る所。
壁があるわけでも屋根があるわけでもない、けれどここは身を清めるための神聖な空間。


月光に輝く白い装束を纏い、一人禊を行う
滴り落ちる水が月光に照らされわずかに光った。
黒髪の間からのぞく頭環。


鍛冶師は口を閉じたまま印を結び、式神を召喚する。
姿形は異なっても共に同じ道を歩む半身。
真白な正装に、腰に「二振りの太刀」の一振りを佩き鍛冶師は


禊の終わった鍛冶師は鍛冶場へと向かう。
日本家屋にある鍛冶師の家の一角に鍛冶場はあった。
印を唱えると、ぴしりと音をたて御札が動き出す。
定まった位置に御札があることを確認すると鍛冶師は詠唱を始める。
声にあわせて、式神も詠唱をする。


炉に砂鉄と木炭を、中の様子をみながら投入してゆく。
特性にあわせて少量ずつ処理して、脱炭や吸炭を行う。
羽口からは細心の注意を払いながらどろりと赤白く溶けた鉄に鞴(ふいご)で空気を吹き付ける。
空気を吹き付けられた鉄は燃焼する。
こうすることで鉄は完全な液体となる。

材料の性質、火のかげん、造るもののこと。
ものを知らなければ良いものは造れない。
経験を通して身体で学ぶことも多い。

ノロ出し口をあけると砂鉄に含まれる不純物と炉の土が反応して出来た「ノロ」が出てくる。


その後、炉を解体する。
そして真っ赤に焼けた「けら」を水に焼きいれる。
この「けら」を打ち砕き、良質だが少量の「玉鋼」(たまはがね)と多量の銑鉄(せんてつ。「ずく」ともよばれる)が得られる。

得られた「玉鋼」を刀に切り出す。
炉で真っ赤になるほど熱し、ハンマーで叩くのだ。
ハンマーとタガネを使い、適当な大きさに切り分けられた後、熱せられる。

炉で赤くした地金と鋼をハンマーでくっつけ、叩き伸ばして鍛えてゆく。
鍛錬を繰り返すことにより、不純物が外に出てゆき、固くて曲がりにくい刃ができる。
ここでどれくらい「ねばり」を残すかも、鍛冶師の力量の一つといえよう。

焼き入れ、焼き戻しを繰り返し調節を繰り返す。

ハカマ(口金:柄の先にはめる金の輪。固いものを斬ったときの衝撃から柄が割れるのを防ぐ)を刀にあわせて造る。

そして「研ぎ」をする。
刃が食い込むにつれ、切る対象を押し開く厚さがいるが、かといって摩擦で入り込んでいかないのも困る。鍛冶師は絶妙な調整をしながら完成させてゆく。

目立て(刃をつける)をし、柄の部分に穴をあけ、使いやすく造った柄を組み付ける。

刀をおさめる鞘も、神聖巫連盟では鍛冶師が作る。


昼夜問わずの作業。
全体の調整を済ませた刀が完成する。
歌うような詠唱のなかで作業は終わった。
鍛冶師はやっと、ふうという人間らしい息をもらし、壁に背をあずける。
すりよる式神。
「お疲れ様」
ねぎらいの言葉をかけ、そっと式神をなでると、嬉しそうな様子をみせた。


このように製造される鍛冶師の製作した道具は人気が高い。
建築家の縁もあり、東京にあるFEGに建築家の道具を卸している。

引用なし

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Re:修正中
 藻女  - 10/6/21(月) 1:00 -
鍛冶屋と鍛冶師

巫において鉄を扱うことを生業とする者は二つの名称で呼ばれる。ひとつは鍛冶屋、もうひとつが鍛冶師である。この二つの職業は鉄を加工することにおいてはほぼ等しい存在であるが、決定的な違いもまた存在する。
 『鋼を作るか否か』
鍛冶師達の製鉄は昔ながらのたたら製法によって鉄鋼を作り出すのだが、周辺諸藩国の技術に比べるとたたら製法によって得られる鉄の品質は優れているものの少量でさらに鉄鋼の品質が安定していないため、職人達の技量が大きく問われる扱いの難しい鉄鋼しか生み出されない。また、あまりに多くのものが国内で鉄作りを行うと環境負荷がひどくなるという理由で鍛冶師として認められたもの以外の鉄作りは大幅に制限されているので、一般的な鍛冶屋達は品質の安定している他国の鋼材を用いることが多い。しかし、鍛冶師達は自ら砂鉄や鉄鉱石を集め、自分たちの用いるための鋼材を自分たちで作り出す、昔ながらの製法を忠実に守って。これが、鍛冶屋と鍛冶師の最大にして絶対的な違いとなっている。

巫鋼(かんなぎはがね、かんなぎこう)

鍛冶師達の製鉄はたたら製法によって砂鉄や鉄鉱石を鋼材へと精製する。たたら製法によって得られる鋼材は砂鉄もしくは鉄鉱石1000kgに対して300kg前後である。その300kgのうち200kg前後が一般的な鋼材であり、残り100kg前後が玉鋼と呼ばれる良質の鋼となる。
この良質の玉鋼をさらに製鋼し、高炭素鋼材に仕上げたものが巫鋼と言われる鉄材である。玉鋼までの製造はたたら製法さえ知っていればほぼ誰でも精製は可能であるが、巫鋼は鍛冶師でなくては作れない。特別な素材を必要とするわけではないが、質の良い鉄鉱石を質の高いたたら製法によって作り出した玉鋼からしか良質の巫鋼を生み出すことはできない。原石を見分ける目と安定した高い製鉄技術、これらを持ちうる者だけが巫鋼を作れ、それは鍛冶師以外にいないのである。
巫鋼は一般的な鋼材よりも軽く、硬く、なにより錆びにくい。他藩国ではステンレス素材と呼ばれる鋼材が最も近いだろうか。古く異国の鋼材などを調べてみるとダマスカス鋼、ウーツ鋼などに類似した鋼材である。「百年経っても変わらない」それが巫鋼の最大の特徴である。建築家が千年先も変わらぬ神社を建てると言っているのと比べると劣ると思われるかもしれないが、彼らの言葉は千年経とうと変わらぬ信仰が集う神社を建ててみせるというものであり、巫鋼の時間によって劣化しないと誇っているのとは意味合いが異なる。
そんな巫鋼であるが、国内で一般に使用される武器や農具の材料に使われていることはほとんどない。それらを作るのが鍛冶師ではなく鍛冶屋の仕事であるというのも理由のひとつとしてあるが、巫鋼の起源は奉具、祭儀品として神祇の道具を作成するための鋼材であることに由来している。したがって、祭儀や神田で使用するための道具としては武器や農具も作り、奉納されてきた。

ただ、鍛冶師の作ったものは滅多な事では損なわれず、また、神社が保有するような品は依頼されずとも自分の腕を示すため、神々への感謝のためなど理由は異なっても、鍛冶師が奉納してきた物であるため、役目として誇っているが収入を得る手段としての仕事とは異なる。とはいえ鍛冶師と認められた者には、年に一度鍛冶師の資格の更新と、宮大工のための大工道具や釘の確保のため依頼される国からの仕事に応えていれば、他の仕事を探さずとも食べていくには十分な援助金が手に入るのでお金目当てに働く必要はない。もっともこれは鍛冶師と認められるほどの者にお金に無頓着な者が多かったため保護を図ろうと行われたというのが正しいだろう。そのため万が一鍛冶師が十分な人数集まるような事があればその支援の形は変化すると考えられる。


製鉄と環境

製鉄と環境汚染とは切っても切れない関係にある。とくにたたら製法において鉄を精製するためには、一般的な燃料を使用せず、大量の木炭を必要とし、その量は精製する原石とほぼ同量にまでなる。そのうえ木炭を全て燃やし尽くしてしまうのだから大量の二酸化炭素を排出する。そして二酸化炭素を浄化するための森は木炭を作るために切り崩されていくのだから、鍛冶師達の製鉄と環境汚染は表裏一体の関係にあるのだ。いくら今は鍛冶師が少ないとはいえ、増えることを願っている国としてなんらかの対策を講じる事に決めた。
そのひとつは鍛冶師達の木炭を作るためだけの植林地を設けた事だ。鍛冶師達が使用する木炭はそこからしか使用しないようにし、また逆に、その植林地から作られた木炭は鍛冶師達にしか流通しないように制限を設けた。この制限によって鍛冶師達の作り出す鋼材の量が減るのではないかと懸念する者もいたが、そもそも巫国内の鍛冶師は数えるほどしかくない上、一回の製鉄で半年から一年は保つこともあいまって、鍛冶師達が年間消費する木炭の量は植林地から作られる木炭量を上回ることはなかった。
もうひとつは古くなった巫鋼の再利用である。もっともこれは大概の品物で多かれ少なかれ行われている事ではある。しかし、決して壊れないわけでも自己再生するわけでもないため、長年道具として利用すれば欠損もすれば壊れる物だって生まれる事があるとはいえ優れている事ばかり強調されて知られているため、一般の者が特別視するのも仕方がないのかもしれない。そしてそのために、古い巫鋼製品をもう一度鋼材として精製し直すという行為を不死鳥に喩えられる事もあるという。

引用なし

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一部完成
 藻女  - 10/6/22(火) 1:36 -
鍛冶屋と鍛冶師

巫において鉄を扱うことを生業とする者は二つの名称で呼ばれる。ひとつは鍛冶屋、もうひとつが鍛冶師である。この二つの職業は鉄を加工することにおいてはほぼ等しい存在であるが、決定的な違いもまた存在する。
 『鋼を作るか否か』
鍛冶師達の製鉄は昔ながらのたたら製法によって鉄鋼を作り出すのだが、周辺諸藩国の技術に比べるとたたら製法によって得られる鉄の品質は優れているものの少量でさらに鉄鋼の品質が安定していないため、職人達の技量が大きく問われる扱いの難しい鉄鋼しか生み出されない。また、あまりに多くのものが国内で鉄作りを行うと環境負荷がひどくなるという理由で鍛冶師として認められたもの以外の鉄作りは大幅に制限されているので、一般的な鍛冶屋達は品質の安定している他国の鋼材を用いることが多い。しかし、鍛冶師達は自ら砂鉄や鉄鉱石を集め、自分たちの用いるための鋼材を自分たちで作り出す、昔ながらの製法を忠実に守って。これが、鍛冶屋と鍛冶師の最大にして絶対的な違いとなっている。

巫鋼(かんなぎはがね、かんなぎこう)

鍛冶師達の製鉄はたたら製法によって砂鉄や鉄鉱石を鋼材へと精製する。たたら製法によって得られる鋼材は砂鉄もしくは鉄鉱石1000kgに対して300kg前後である。その300kgのうち200kg前後が一般的な鋼材であり、残り100kg前後が玉鋼と呼ばれる良質の鋼となる。
この良質の玉鋼をさらに製鋼し、高炭素鋼材に仕上げたものが巫鋼と言われる鉄材である。玉鋼までの製造はたたら製法さえ知っていればほぼ誰でも精製は可能であるが、巫鋼は鍛冶師でなくては作れない。特別な素材を必要とするわけではないが、質の良い鉄鉱石を質の高いたたら製法によって作り出した玉鋼からしか良質の巫鋼を生み出すことはできない。原石を見分ける目と安定した高い製鉄技術、これらを持ちうる者だけが巫鋼を作れ、それは鍛冶師以外にいないのである。
巫鋼は一般的な鋼材よりも軽く、硬く、なにより錆びにくい。他藩国ではステンレス素材と呼ばれる鋼材が最も近いだろうか。古く異国の鋼材などを調べてみるとダマスカス鋼、ウーツ鋼などに類似した鋼材である。「百年経っても変わらない」それが巫鋼の最大の特徴である。建築家が千年先も変わらぬ神社を建てると言っているのと比べると劣ると思われるかもしれないが、彼らの言葉は千年経とうと変わらぬ信仰が集う神社を建ててみせるというものであり、巫鋼の時間によって劣化しないと誇っているのとは意味合いが異なる。
そんな巫鋼であるが、国内で一般に使用される武器や農具の材料に使われていることはほとんどない。それらを作るのが鍛冶師ではなく鍛冶屋の仕事であるというのも理由のひとつとしてあるが、巫鋼の起源は奉具、祭儀品として神祇の道具を作成するための鋼材であることに由来している。したがって、祭儀や神田で使用するための道具としては武器や農具も作り、奉納されてきた。

ただ、鍛冶師の作ったものは滅多な事では損なわれず、また、神社が保有するような品は依頼されずとも自分の腕を示すため、神々への感謝のためなど理由は異なっても、鍛冶師が奉納してきた物であるため、役目として誇っているが収入を得る手段としての仕事とは異なる。とはいえ鍛冶師と認められた者には、年に一度鍛冶師の資格の更新と、宮大工のための大工道具や釘の確保のため依頼される国からの仕事に応えていれば、他の仕事を探さずとも食べていくには十分な援助金が手に入るのでお金目当てに働く必要はない。もっともこれは鍛冶師と認められるほどの者にお金に無頓着な者が多かったため保護を図ろうと行われたというのが正しいだろう。そのため万が一鍛冶師が十分な人数集まるような事があればその支援の形は変化すると考えられる。


製鉄と環境

製鉄と環境汚染とは切っても切れない関係にある。とくにたたら製法において鉄を精製するためには、一般的な燃料を使用せず、大量の木炭を必要とし、その量は精製する原石とほぼ同量にまでなる。そのうえ木炭を全て燃やし尽くしてしまうのだから大量の二酸化炭素を排出する。そして二酸化炭素を浄化するための森は木炭を作るために切り崩されていくのだから、鍛冶師達の製鉄と環境汚染は表裏一体の関係にあるのだ。いくら今は鍛冶師が少ないとはいえ、増えることを願っている国としてなんらかの対策を講じる事に決めた。
そのひとつは鍛冶師達の木炭を作るためだけの植林地を設けた事だ。鍛冶師達が使用する木炭はそこからしか使用しないようにし、また逆に、その植林地から作られた木炭は鍛冶師達にしか流通しないように制限を設けた。この制限によって鍛冶師達の作り出す鋼材の量が減るのではないかと懸念する者もいたが、そもそも巫国内の鍛冶師は数えるほどしかくない上、一回の製鉄で半年から一年は保つこともあいまって、鍛冶師達が年間消費する木炭の量は植林地から作られる木炭量を上回ることはなかった。
もうひとつは古くなった巫鋼の再利用である。もっともこれは大概の品物で多かれ少なかれ行われている事ではある。しかし、決して壊れないわけでも自己再生するわけでもないため、長年道具として利用すれば欠損もすれば壊れる物だって生まれる事があるとはいえ優れている事ばかり強調されて知られているため、一般の者が特別視するのも仕方がないのかもしれない。そしてそのために、古い巫鋼製品をもう一度鋼材として精製し直すという行為を不死鳥に喩えられる事もあるという。


神人二振りの太刀

鍛冶師になる者の試験にして最初の仕事は二振りの太刀を打つことである。もちろん、ただ二振りの太刀を打てば良いわけではない。その二振りは、限りなく同一の太刀として作らなくてはならないのだ。どんな大業物を作っても、それこそ神剣が生まれてしまう事があったとしても、繰り返しそれほどの太刀を生み出せない限りは鍛冶師の資格はない。まぐれは二度続かない。それを体現するシステムなのである。ただし、その上で機械のようにただ全く同じ太刀を生み出しても認められる事はない。外見や質は同じでも二つの太刀に違いを持たせる事ができなければいけないのである。闇と光、心と体、生と死、相反する二つは互いに互いの存在を必要とするという陰陽の考え方が根付いているのであろう。そしてこれが鍛冶師に式神使いの素養が必要といわれる理由でもある。多くの鍛冶屋達はこの試験の前に鍛冶師とはなれず、試験を突破したものは鍛冶師として認められる事となる。
この試験で鍛えられた太刀は多くの場合、鍛冶師が自ら鍛冶師と認められた事の報告と共に一振りを奉納し、そしてもう一振りが初心を忘れないためにと手元に置かれることとなる。

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