神聖巫連盟 : 雑談用

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参謀コンクールのためにお借りしています 信乃 08/6/2(月) 23:29

参謀コンクール (其の弐) 有馬信乃@神聖巫連盟 08/6/2(月) 23:37
参謀コンクール (其の参) 有馬信乃@神聖巫連盟 08/6/2(月) 23:38

参謀コンクール (其の弐)
 有馬信乃@神聖巫連盟  - 08/6/2(月) 23:37 -
2:攻撃と防衛

戦闘準備のカードを終了したあと、次のアイドレスは2つに分岐している。これは、OVER90に限らず、すべてのイベントがそのようになっているのだが、OVER90と他のイベントではいささか事情が異なっている。他のイベントは部隊方針を変更する必要がないが、OVER90のみ、攻勢に出るか、守勢に回るか、と、部隊方針を選択する分岐となっているのである。
同じ戦闘イベントである空爆の開始と比較するため、それぞれの次のアイドレスを引用してみる。

<OVER90>
 t:→次のアイドレス =街を守れ(EV107−01),敵戦線を突破せよ(EV107−02)
<空爆の開始>
t:→次のアイドレス =宇宙戦(EV108−01)#宇宙に打ち上げを選択した部隊のみ選択できます,空からの敵を待て(EV108−02)
一見すると「街を守れ」「空からの敵を待て」が守勢、「敵戦線を突破せよ」「宇宙戦」が攻勢のように見える。ところが、実際はそうではない。
空爆の開始は、まず戦術方針として防衛ありき、そのうえで、どのような行動をとるか、を求められているのである。つまり、ここで求められているものは、積極的反撃に出るか、待ち受けて反撃を行うか、という、どちらも防衛行動を目的とした行動を問われているのだ。
対してOVER90は、テンダイスの記事では、S43氏と戦闘する、という大まかな目標しか示されておらず、攻勢をもって戦闘するか、守勢をもって戦闘するか、は明確に定められていない。したがって、ここでの分岐において、攻防どちらの戦術方針をもって戦闘するか、を求められていたのである。

・攻撃と防衛の本質

攻撃にしろ防衛にしろ、戦場において敵を撃退するという本質的な部分は同じものである。
戦争論によると、

「絶対的な防衛と言うものはあり得ない。戦争における防衛とは相対的なものであるに過ぎない。(中略)実際に戦争を行うためには敵の突進には突進をもって応じなければならないのだから、防衛戦争に置いても攻撃動作は行わなければならない。従って防衛は盾には違いないが、使用にさいし、巧妙な突きが併用されねばならない」<意訳>

端的に言えば、戦争では防御し続けるだけでは意味がない、攻撃行動を伴ってこそ敵を撃退できるのである。すなわち、攻防の違いとは、先に攻撃するか、後に攻撃をするか、であり、どちらも戦場における行動の一形態でしかないのである。戦争論の言葉を借りれば、
「防衛とは消極的維持を目的とした行動であり、攻撃とは積極的奪取を目的とした行動である」<意訳>
となる。

・防衛

攻撃と防御が本質的に同じであっても、戦場では攻撃よりも防衛が有利である。戦争論では、「維持と奪取では元来維持の方が容易である」と解説している。また、孫子においても、「守らば則ち余りありて、攻むれば則ち足らず。古の善く守る者は九地の下に隠れ、九天の上に動く。故によく自らを保ちて勝を全うするなり」と、防御の優位性を説いている。日本語で意訳すれば、守れば戦力に余裕が生じ、攻めれば戦力を消耗する。戦上手は兵を巧みに温存し、機を見て一気呵成に出る。そうすれば、兵力を損なうこと無く勝利を得る、となり、さらにアイドレス的に言葉を置き換えれば、防御はARを温存できるが、攻撃はARを消費する。ARの高い状態を保ちつつ、敵の行動の隙をついて攻撃すると、味方の被害を少なくして勝ちを得ることが出来る、このような感じだろうか。
防衛に徹してARを温存しておけば、こちらは余裕を持った行動が行えるが、攻撃に徹すればARを消費し続け、限界点に達したとき行動不能の自軍に対し敵の攻勢を呼び込むことになる。特にアイドレスでは、いくら攻撃を受けても防御判定に成功した場合、兵士数が減ることも評価値が下がることもない。実際の戦闘ではダメージの蓄積というものが生じるが、アイドレスではそれがないのである。ゆえに、防御に徹して相手のARを消費させ、相手の限界点を待って攻撃に転ずる、と言う作戦が効果的な一手となり、防御が攻撃よりも有利だという証明でもある。世に「攻撃は最大の防御」との言葉があるが、アイドレスにおいては「防御は最大の攻撃」となるのである。

・攻撃

防御が有利だからといって防御に徹し続けるわけにも行かない。通常の戦争なら防御をしつつ反撃を行って敵戦力を削る手段が存在するが、アイドレスでは、防御は防御だけでしかなく、敵の兵力を減らすには、必ず攻撃をしなくてはならない。とくに掲示板ゲームでは期限が設けられているため、いつまでも防御に徹していると時間切れによる自動処理によって、損害を被る可能性がある。
ではどのような時に攻勢に転ずれば良いか。戦争論では「攻撃と言う不利な形式を用いても兵力に自身があるとき」孫子では「気力が充実している時をさけ、気力が衰えたところを撃つ」(どちらも意訳)としている。アイドレスにして言うなら、AR差に十分な余裕があるとき、自軍の評価値で確実に敵を撃破できるとき、ではないだろうか。
AR差に十分な余裕があるときに関してだが、「AR差が4以上のとき、低い方は一時的に処理対象から除外される」とのルールがある。しかしながら、そこを考慮する必要はない、大きければ大きいほど良いと私は考える。最終的に攻撃する段階においてAR差が3になれば良いので、例えば10離れたとしても、7を「f:を通す」にあててこちらの評価値上昇を計り、相手が再度ゲームに加わる3の段階に攻撃を行えば良いだけのことである。
ただ、アイドレスの戦闘はARが高い順に処理するため、元々のAR差が近かった場合、大きくAR差をつけることは出来ない。このような時は、装甲が敵の攻撃に耐えきれる場合は防御に徹すれば良いのである。相手が一度の攻撃を行うと、こちらは3のARの余力を生むことになる。その余力3を用いて3つのf:を通し、また相手の攻撃を受ける。これによって生じた余力で同じくf:を通し……、と続けていけば、結果的にAR差が10のときと同じ評価値上昇の機会を作り出すことが出来る。ひとつ注意して欲しい点は、この戦法は同一カード内では敵の行動が常に同じである掲示板ゲームの場合において用いることの出来る戦法である。メッセによるゲームへの転用も不可能ではないだろうが、リアルタイムの戦闘においては、戦況の変化に十分注意を払って行う必要がある。


それでは、OVER90において攻勢と守勢、どちらの方針を選択すべきであったのだろうか。私はどちらを選択しても大差はなかったと考える。これは最終的に援軍が到来したことによってどちらでも良かった、と言っているわけではない。
本イベントの最終的な目標はS43氏と霧賀火澄氏との直接戦闘を行う場を作り上げることであったため、各指揮官が自部隊のARと評価値とを鑑みて行動をしたのであれば、その結果は大差なかったと考えている。
ただし、大差無し、としているのは、どちらを選んでも目標を達成できた、との意味ではなく、どちらを選んでも目標を達成できなかった可能性もある、との点から考えているのである。
このイベントは各部隊の行動によって生じた事象が、他の部隊にも影響を及ぼすイベントである。すなわち、各部隊が連携をとらず行動をしていたとなると、必勝の機会を逸し、各個撃破の的となっていた可能性もあったのである。
各部隊が他の部隊の行動と呼応すること無く動いていたならば、どちらを選択しても効率的に動くことは出来ず、つまるところ大差なかっただろう、と考えている。

3:諸藩国の連携

OVER90のイベントでは、各部隊の行動が相関関係にあるにもかかわらず、効率的な連携が取れていたようには思えなかった。
戦闘の勝敗は、基本として兵力の大小によってすでに決していると言っても良い。
孫子にこのような言葉がある。

//*//

「故に人を形せしめて我に形無くば、我は専にして敵は分かる。我は専にして一たり敵はわかれて十たらば、これ十をもってその一を攻むるなり。すなわち我は衆にして敵は寡なり。よく衆をもって寡をうてば、わがともに戦うところの者は約なり」

敵を固定化させて、自軍を自由自在に動かせれば、自軍は思うように兵力を集中させ、敵軍は各個に分断することが出来る。自軍を一つに集中させて、分散した敵軍の一つを攻撃すれば、こちらは多勢、相手は少数で戦わざるを得ない。多数によって少数と戦えば、我が軍は数倍優位に立てる。

//*//

これはすなわち、こちらの兵力は集中して多勢を保ち、敵の兵力は分散させて少数にせよ、と言っている。
OVER90における実質的な戦闘部隊(AR10の行動不可能部隊は除いた数)は13である。敵の部隊数は30であるから、こちらが劣勢であるのは目に見えている。このような状況においてさらに戦力を分散させるのは、自殺行為に等しいとも言えるだろう。私は、どちらか一方に集中すべきであったと考える。
分岐後の部隊内訳は、敵戦線7:街の防衛6である。ほぼ半々に別れている。OVER90の目的は、S43氏の前に、霧賀火澄氏を連れて行くことであるから、こちらの兵力を一点に集中して、敵の防御の薄いところを突破することが、一番の近道であったと考える。ならば、一方に10部隊ほど割いて、一気に道を開き、勝敗を決した方が良かったのではないだろうか。
今回の敵はまとまって移動していたため、次のアイドレスに街の防衛が出たことは敵の陽動であった可能性は低いだろうが、この先、こちらの戦力を分散させるための陽動作戦を使ってこない敵がいないとも限らない。今回のような各部隊の行動が連動するイベントの時は、迂闊に兵力を分散させることは危険であると考える必要があるように思う。

・兵力の確保
アイドレス2となって、部隊の編制が軽編成と重編成の2種の編成方法となった。しかも、一国につき、部隊は一つしか編成することが出来ない。これでは前作のように、全ての藩国が全力を投じて全てのイベントに参加できる状況ではなくなったのである。ゆえに、今後少数の部隊で大軍を相手にしなくてはならない危険性が含まれている。したがって、部隊数を確保する算段をつける必要が有る。

部隊確保の対策としては騎士団の設立がある。しかしながらこの方法はどの国でも行える手段ではない。
第一に国力の問題がある。騎士団の設立には多額の費用が必要であり、維持するためのコストもかかってくる。さらに言えば、藩国、騎士団、それぞれを重編成にするか軽編成にするかで、大きく国力に関わってくる。1ターンにおけるイベントの回数がはっきりと定まっていないため、藩国と騎士団の2部隊を軽編成で作る方が良かったり、藩国のみで1部隊の重編制にした方が柔軟に動ける場合もある。すなわち、かなりの余力を持っていないと、国家経営が破綻するのである。
第二に戦力の分散である。藩国と騎士団はナンバリングイベントにおいては掛け持ちをすることができない。そのため人材の少ない国では、自国内で兵力分散の愚を犯すことになる。これでは騎士団を設立して兵力を確保する意味がなくなってしまう。人材の少ない国は騎士団をもつよりも、重編成を用いて準備フェイズで部隊分割を行った方が、国家経済に優しく、戦力的には等価であると考える。

以上の二点を踏まえた上で、騎士団の設立に向いている国家は次のような藩国があげられる。

ひとつは、国内の編成において、AR差が生じている部隊となる藩国である。ARは低い方へ合わせられるため、高ARと低ARの混成部隊を作ることは、優位性の消失に他ならない。このような藩国は、どちらか一方に偏った部隊編成を行うか、騎士団を作成して高ARと低ARの二部隊を用意した方が良いと考える。
もうひとつは、何かに特化した部隊編成を行いたい藩国である。騎士団の団員は藩国の枠を越えて募集することが出来る。そのため、自国だけでの編成においては少数で戦力にならない職業を、各地より同種の技能を持った人材を招聘することによって、一つの戦力として作り上げることが可能となる。また類似の条件として、部隊分割を前提にしている藩国も含むことが出来るだろう。ARを消費して部隊を分散させるよりは、一方を藩国の人材で固め、他方を各地から人材を求めた方が、それぞれの部隊強化に繋がる場合もある。

・兵力の統制
大部隊を用意できたからと言って、それが即戦力になるとは限らない。兵力が多いことは優位であるが、それを上手く運用する必要がある。
この点の注意として呉子はこのように述べている。

//*//
武侯問いて曰く、兵は何をもって勝とす。
起答えて曰く、治をもって勝となす。
また問いて曰く、衆にあらざるか。
起答えて曰く、もし法令明かならず、賞罰信ならず、これを金して止まらず、これを鼓して進まざれば、百万有りといえども、何ぞ益さん。
いわゆる治とは、居れば礼あり、動けば威あり、進めばあたるべからず、退けば追うべからず、前却節あり、左右麾に応じ、絶つといえども陣を成し、散ずといえども行を成す。これと安く、これと危うく、その衆合すべくして離すべからず。用うべくして疲れすべからず。これを往くところに投じて、天下に当たるなし。名付けて父子の兵という。

武侯は尋ねる。「戦争の勝敗は何をもって決まるのか」
呉起は答えた。「治によって勝利は決まります」
また武侯は尋ねた。「兵力の多寡ではないのか」
呉起は答えた。「法令が明確でなく、賞罰が公正を欠き、停止の合図をしてもとまらず、進発の合図をしても進まなかったなら、百万の大軍があっても何の役に立ちましょうか。
治とは次のことです。平時は秩序正しく礼が行われ、有事となれば威力を発揮し、進めば阻止されず、退けば誰も追えず、進退は節度をもち、左右はたちまち合図に応じ、連絡を絶たれても陣容を崩さず、散開しても隊列を崩さない。将兵が安危を共にし、結束して離間されず、戦っても疲労しない。このような軍は向かうところ敵なしです。これこそ父子の兵といえるでしょう」

//*//
つまり、兵力が多いだけでは勝てない、勝つためには兵士の統制が取れていなくてはならないと述べているのである。
蛇の呪いの解除やS43を探せのような他部隊との連動がないイベントにおいては、各藩国それぞれで行動せざるを得ないが、OVER90のような連動するイベントでは、一藩国の失敗が他の部隊へのかせとなる可能性も有る。それゆえ、各藩国がバラバラに動いていては、各個撃破の餌食となり、イベントの失敗に繋がるのである。
したがって、連動イベントの場合は、各国の部隊を統制するための、総司令官、あるいは、司令部のような存在が、必要であると考える。
本来ならこのような立場にあるのは、参謀本部である。ところが、帝国参謀は解散しており、共和国参謀は統制をとるための動きを見せた様子はない。これではいくら大部隊が揃えられても、遊軍を作り、敵に計られ、敗北を招くことに繋がりはしないだろうか。
参謀は今一度自らの職責を考え直し、各国の連携を取り持つための働きを行うべきだと考える。

#共和国参謀のみなさまへ
#僕がこのように判断したのは、昨シーズン使用していた猫参謀本部の掲示板やチャットの使用状況から考えた結果です。もし別所において、活動を行っていらした場合は、僕の調査不足であり、このような書き方をした非礼をお詫びさせて頂きます。


呉子は開戦にさいして一つの注意を述べている。

//*//
昔の国家を図る者は、必ずまず百姓を教え、而して万民を親しむ。四つの不和あり。国に和せざれば、もって軍を出すべからず。軍に和せざれば、もって出陣すべからず。陣に和せざれば、もって進み戦うべからず。戦いに和せざれば、もって勝を決すべからず。
ここをもって有道の主は、まさにその民を用いんとするや、まず和して、しかる後に大事を造す。

古来より国家を治める者は、かならず臣民を教育し人民の結びつきを強化した。その団結を乱すもものは四つある。国に団結がなければ軍を進めるべきではない。軍に団結がなければ、部隊を進めるべきではない。部隊に団結がなければ、戦いを挑むべきではない。戦闘にあたって団結がなければ、決戦に出るべきではない。

したがって、道理をわきまえた君主は、人民を動員する前に、まずその団結を図り、その後に開戦を決行する。

//*//
和とは団結して協調することを指す。単に行動をともにする、と言う意味ではない。兵法書ではないが論語の中の一節に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と言う言葉をもってして、協調することと行動をともにすることの区別をつけているものがある。協力関係がなければ、いかに精兵を用いてもそれは烏合の衆でしかない。

今回のイベントでは、少なくとも軍の不和が生じていたように思える。今後も発生するであろう連動した戦闘イベントでは、四つの和を形成できるように務める必要が有ると考える。


4:ゲーム間の連動

今回のイベントの最大の功労者は、何と言っても援軍の存在だろう。彼女らの到来がなければ、街の防衛に向かっていた部隊は敵を前にして何らなす術も無く蹂躙され、迂回部隊のナニワI=D小隊も全滅への道を辿り、暁の円卓剣王部隊の戦闘継続も出来なかった。イベント自体の勝敗は別としても、多数の藩国は滅亡の危機にあったと言えるだろう。
今回のイベントで称賛を受けるべきは、援軍として駆けつけた部隊と、その参戦を決定した者であることを忘れてはならないだろう。

・アイドレスにおける多数のゲームの存在
まずここに記すものは確実性のないものであると明記しておく。

アイドレスには様々なゲームが存在している。イベントによる掲示板ゲーム、小笠原や函などをまとめた生活ゲーム、そして、藩国運営自体も一つのゲームであると言っても良い。これらのゲームが連動して織りなしたものを、アイドレス、として一つのゲームの総称として扱っている。
ここで考えて頂きたいのは、今回のS43氏の暴走がどこに端を発しているか、ということである。伝え聞く限りでは、函ゲームのアイテム作成の失敗によるもの、となっている。ということはつまり、一連の騒動の流れは、生活ゲームと掲示板ゲームの連動によるものであると言えるだろう。このことは、わざわざ書かずとも誰もが承知していることだとは思う。実際、星見司や一部の見識ある者は、生活ゲームにおいて情報の収集を行っているのだ。

ところが、ここまで承知しているにもかかわらず、ゲームの連動に関する部分を上手く運用できていないのではないだろうか、と今回の援軍の到来を見て感じた。
情報の収集とは確かに重要な事項である。情報を集めることによって戦闘を有利に導くことが出来るとは、多くの兵学書が述べるところである。しかしながら情報というものは、戦争論の言葉を借りれば、「多くの情報は矛盾しており、さらにその多くは、誤りである。そしてまた、最も多くの情報は不確実なものである」<意訳>なのである。つまり、情報を収集することは一側面としては有効だが、戦闘イベント全体に対しての寄与は、それだけでは十分であると言えないのではないだろうか。

生活ゲームによって戦力を強化させる手段としては、個人ACEだろう。しかしながら、この手段は余り推したくはない。本来個人ACEは軍事目的に利用する類のゲームではないからである。
他の手段として考えられることは、援軍の派遣要請をはじめ、国土防衛において自軍に有利な戦場を設定すること、自軍に有利となるf:をあらかじめ通しておき、イベントでの可能な行動を増やし戦力上昇を行えるようにしておくこと、イベントで発生する次のアイドレスを多様にするため、あらかじめ起き得るであろう戦闘に対する作戦を提示しておくこと。
例えば情報戦は、相手をどのように誘導するか、相手の情報のどの部分を引き出すか、こういった細やかな部分を使いこなすには、掲示板ゲームで「特殊を使う」や「f:を通す」などの定められた行動で行うよりも、生活ゲーム(メッセ使用ゲーム)で種々の行動を行った方が、多数、または、詳細な情報を入手し、敵を不虞の体勢に陥れることが出来るように思う。
このように、生活ゲームと掲示板ゲームとを連結させることに着目すれば、実際のイベントで行動の幅を広げることになるのではないかと推察する。掲示板ゲームが開始してからでは手遅れかもしれないが、掲示板ゲームが発表されてから、実際のゲーム開始(1回目の処理)までのあいだなら、何かしらの手をうてるのではないだろうか。
しかしながら注意して頂きたいことは、掲示板ゲームはまず、自国の部隊ありきであることを忘れてはならない。外堀を固めても天守閣がすかすかであれば、ひとたび崩れた時に踏ん張りがきかなくなるからだ。
中国の兵法書尉繚子にはこのような文がある。

//*//
わが境内の民を量らん。伍もよく正すなし。十万の衆を統制して、王必ずよくこれをしてわが衣を衣、わが食を食わしむるのみにて、戦いて勝たず、守りて固からざるは、わが民の罪に非ず、内自ら致すなり。天下の諸国われを助けて戦うもなお良驥ろくじのはやきに、かの駑馬のきこうして角逐するがごとし。なんぞよくわが気を紹かんや。

自国の現状を考えよう。法制が整っておらず、臣民の掌握が出来ない。十万の兵を統率しながら、王はただ彼らに衣食をあたえるだけでは、軍は戦っても勝てず、守っても支えきれない。これは兵士の罪ではなく、王自らが招いた結果である。自国の軍がこのようなていたらくでは、諸国から精兵の援軍が有ろうとも、駄馬と駿馬が並ぶようなもので、とても呼吸が合わないだろう。勝敗の要因は全て自国の内にある。

//*//

まず基本として、自国の部隊を強める必要性を説いている。援軍が来ようと、新兵器があろうと、自国の部隊が役立たずでは、それらもたいした意味はない。周辺環境を整えるために自国の部隊強化を怠ってはならないのだ。特に藩王が自部隊にいる場合は十分に注意するべきである。藩王の死亡は藩国の滅亡であるのだから。


<其の参へ続きます>
引用なし

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参謀コンクール (其の参)
 有馬信乃@神聖巫連盟  - 08/6/2(月) 23:38 -
5:戦略と戦術と戦法

戦略とは国家における軍事行動であり、戦術とは軍隊における軍事行動であり、戦法とは部隊における軍事行動を指す。
戦略は堅実でなくてはならない。山のごとく固く守る必要が有る。ここでの優劣が国の存亡に関わるからである。
戦術は自由でなくてはならない。水のごとく形を変える必要が有る。敵に行動を読まれてはならないからである。
戦法は応変でなくてはならない。火のごとく激しく攻める必要が有る。敵を撃破しなくてはならないからである。

・藩国による戦略
軍事とは政治の一部であり、軍事において最も政治に密接しているのが、戦略である。消費物資、人材の確保、戦力の増強、これらは軍事行動よりも政治行動によって獲得されるものだからである。
政治的側面から見た戦略構想のひとつを政治書である管子はこう語る。

//*//
兵の為むるの数は、財を娶むるに存し、而して財に敵なし。工を論ずるに存し、而して工に敵なし。器を制するに存し、而して器に敵なし。士を選ぶるに存し、而して士に敵なし。政教に存し、而して政教に敵なし。服習に存し、而して服習に敵なし。偏く天下を知るに存し、而して偏く天下を知るに敵なし。機数を明らかにするに存し、而して機数を明らかにするに敵なし。故に兵いまだ境を出でずして、敵なきもの八。
ここをもって天下を正さんと欲すれども、財、天下を蓋はざれば、天下を正す能わず。財、天下を蓋えども、工、天下を蓋はざれば、天下を正す能わず。工、天下を蓋えども、器、天下を蓋はざれば、天下を正す能わず。器、天下を蓋えども、士、天下を蓋はざれば、天下を正す能わず。士、天下を蓋えども、教、天下を蓋はざれば、天下を正す能わず。教、天下を蓋えども、習、天下を蓋はざれば、天下を正す能わず。習、天下を蓋えども、偏く天下を知らざれば、天下を正す能わず。偏く天下を知れども、機数に明らかならざれば、天下を正す能わず。
故に、機数に明らかなるは、兵を用うるの勢いなり。

必勝の条件として八つある。資材を豊富にすること、技術を重視すること、優れた武器をつくること、優秀な人材を選ぶこと、軍律を厳しくすること、弛まぬ訓練を行うこと、広く情報を収集すること、臨機応変の処置をとること。
戦争となる前に、これらの点を養っておけば、天下統一の体制が整う。
いくら天下を平定しようと望んでも、物資がなければ、望みは果たせない。物資があっても技術がなければ望みは果たせない。技術があっても、武器を造らなければ望みは果たせない。武器があっても人材が無くては望みは果たせない。人材があっても規律が緩んでいれば望みは果たせない。規律が厳格でも訓練が十分でなくては望みは果たせない。訓練が十分でも、知識と情報がなければ望みは果たせない。知識や情報があっても臨機応変に動けなければ望みは果たせない。
つまり、臨機応変の処置こそが、必勝をもたらす要である。

//*//
管仲の述べる八つの条件は、まさにアイドレスそのままである。自国の現状と照らし合わせて頂きたい。抜け落ちている点は無いだろうか、何かが突出しすぎていないだろうか。
ここにあげた条件を整えることは、どの藩国も言われなくても行っているだろう。しかしながら、これらのことを意識して行っている国はどれだけあるだろうか。ただ目先の戦闘に囚われて、中長期的な視野をもたず行っていないだろうか。
戦略において重要なのは長期的な計画である。短期的な計画や、目先の利益によって戦略を決定していては、一度の敗戦によって大きな損害を被ってしまう。しかし、長期的な計画をもってじっくりと準備を整えておけば、一度や二度の敗戦でも十分に取り返せるのである。
その昔、漢の劉邦は項羽との直接戦闘においては負け続けていた。しかしながら、周囲を取り込んでいき項羽を孤立させ、最終的に中国の統一を成し遂げたのである。日本の例では徳川家康だろう。彼は三方原で武田信玄に惨敗し、小牧長久手で豊臣秀吉に破れ、しかし関ヶ原の一戦で勝利したことによって、天下統一を果たしている。
二人に共通しているのは、国力が弱い時には無謀な戦いを行わず十分に国力を蓄え、機を見ると一気に行動を開始したことである。
戦闘イベントがあるからといって、みだりに兵を動かすことは、上策とは言えない。彼らのように、戦えない時にはイベントに参加しないことも十分考慮に入れる必要があるだろう。編成によってはイベント参加の回数も限られてしまうため、重要なイベントに参加できなくなることもあるのだ。
掲示板ゲームは連動していたりしていなかったりと様々な状況で行われる。連動している場合は他国との協調を行えば自国のリスクも軽減できるが、していない場合では、自国の国力のみによって進めていかなくてはならない。そのため、むやみやたらと出兵をくり返せば、人材は疲弊し、国力はやせ細るだけである。国庫は充実しているか、兵力は十分に存在しているか、そう言った点をこそ、今後慎重に考えなくてはならない。
アイドレス2となって、生活ゲームの登場によってさまざまなことが行えるようになり、アイドレスは単なる戦争ゲームではなくなった。経済、外交など、政治的側面が強化されたことによって、軍事のなかにも政治的側面が付加されてきたように思う。そのため、単に戦術的な面に特化した国防のみにとらわれず、政治的観点も踏まえた上での富国強兵策を考案していくことが必要であると考える。


・掲示板による戦術
掲示板ゲームにおいて戦術のほとんどは役に立たないと思われる。というのも、部隊の行動、行軍先(次のアイドレス)があらかじめ設定されているからである。したがって、こちらが行いたい行動が常に出来る状態にあるわけではないのだ。
孫子は戦術に関してこのようなことを述べている。

//*//
三軍の衆必ず敵を受けて、敗ることなからしむべきものは、奇正、是なり。
兵の加うる所、たんをもって卵に投ずるがごとくなるは、虚実これなり。
およそ戦う者は、正をもって合し、奇をもって勝つ。

全軍が敵と対峙して不敗の体制をつくり出すものは、正攻法と奇計の組み合わせである。
石で卵を割るように敵を破るには、充実した戦力を手薄な敵陣に兵を送ることである。
軍隊は、正攻法によって敵と対峙し、意表をついて勝利の機会をつかむ。

//*//

戦術とは、正攻法と奇計とを組み合わせて構成されるものである。ところが、行動の制限が設けられている掲示板ゲームでは、奇計を持ち込むための余地が少ない。これでは、戦術の幅を広げることが出来ず、場合によっては、自軍を不利な状態へと追い込むだけになってしまう。
このような点から考えて掲示板ゲームにおいては、変幻自在の戦術的発想よりも、手堅く手をうつ戦略的発想によって部隊を動かしていく方が効果的ではないかと考える。
しかしながら、戦術的発想が不要であっても、戦術的知識が不要となるわけではない。こちらから戦術的行動を仕掛けることが出来なくとも、敵は戦術的行動によって動いているからである。敵の行動がどのような意図をもって行われているのかを考察するためには、戦術的知識を必要としてくる。敵の意図を読み解くことが出来れば、こちらもそれにあわせて手堅い行動選択を行えば、十分に危険を回避できるのである。
以上のようなことから、掲示板ゲームにおける戦術は、
「敵軍の行動を読むために戦術的発想を必要とし、自軍の行動を行うにあたっては戦略的発想を必要とする」
このような本質をもっているのではないかと考える。

ただ、一口に手堅い行動選択をと言っても、どの行動がそれにあたるのかは一概には言い切れない。最も良いのは、状況をきちんと判断して行うことであるが、いつでもその情報が正しい、もしくは、得られている、とは限らない。
そのようなときは、一つの指針をもってあたるのが良い。
たとえば、彼我の戦力差を一番に考えた場合はこうなる。
敵の戦力がこちらより大きい時は、敵が進めば退き、敵が退けば止まる。敵が強大で進んでくる時は、こちらが不利な状況であるため、正面から戦わず、有利な状況をつくり出せるまで、退くのが良い。こちらが不利な状況にあるにもかかわらず、敵が退くのであれば、敵にこちらを攻めることの出来ない理由が存在するのだから、その場に止まって情報を集めるのが良い。
敵の戦力がこちらより小さい時は、敵が進めば止まり、敵が退けば進む。不利な状況であるにもかかわらずこちらを攻めてくるのには何かしら理由があるのだから、止まって情報を集め、敵の意図を見極めた後に攻撃を開始すれば良い。不利にある敵が退くのは当然のことであるから、こちらは多勢をもって追撃をかけるのが良い。ただし、敵の撤退がこちらを誘い出すための擬態である可能性に十分に注意する必要がある。
敵の戦力が同等である場合は、敵が進めば進み、敵が退けば退く。戦力に大きな差がないのであれば、彼我の損害に大きな差は生じないから、敵が向かってくるのなら正面から戦っても損害は大きく出ず、敵が退くのであればこちらも退いて速やかに次の行動を起こし、敵に先んじるのが良い。
これは単なる一例であって、あらゆる部隊、いかなる状況にも適しているものではないが、このように自部隊の行動において一つの方針を定めておけば、その状況に応じて方針を決定していけば、勝てなくとも負けない戦いを行うことができると考える。

・部隊による戦法
戦法は応変たれといえど、一つの部隊が複数の攻撃手段をもつことは理想的であっても現実的ではない。実際問題として75%ルールであったり、評価値の分散であったりと、壁となる部分が多く、万能部隊を求めようとするなら結果として、分割によってARを欠いた部隊や評価値の一段低い器用貧乏な部隊になるだけであろう。
ただの一部隊において言うならば、万能であることよりも特化である方が良いと考える。十本の木刀があろうとも、一本の小刀を折ることは出来ないが、一本の小刀は十本の木刀を折ることが可能だからである。しかしながら一本の小刀があろうとも、使用者が刃物の取り扱い方を知らなくては、十本の木刀どころか、一本の竹刀すら切ることは出来ない。
つまり、応変たれとは使用者を指しての言葉なのである。
例えば白兵戦が得意ならば敵陣に斬り込まねばならない。例えば遠距離戦が得意ならば、敵とは距離を保ち続けなくてはならない。例えば装甲が厚いなら、他の部隊を守る盾となれば良い。このように自らの得意とすることを実戦し、敵の意図することをさせなければ、それは最良の戦法と言えるだろう。

戦術と戦法は非常に似通っている。これは戦術は全軍の戦法であり、戦法は部隊の戦術だからである。しかし、戦術と戦法では決定的に違うものがある。戦術は自軍を有利な位置に導くための手段であるのに対し、戦法は敵を殲滅するための手段である、と言う点である。
いかに優れた戦術を用いようと、各部隊が有効に敵を殲滅できなくては意味がない。これは裏を返せば、敵が優れた戦術を用いてこようとも、各部隊が優れた戦法をもって敵部隊を打ち破れば、戦術的劣勢を覆すことが可能であることを意味している。
一部隊において戦術的劣勢を覆した例としては、戦国時代、長谷堂城の合戦における上杉軍の前田利益の活躍がある。

1600年、最上家の長谷堂城を攻撃していた上杉軍は、関ヶ原の合戦において西軍が敗れたため、徳川軍の来襲に備えるため、急遽撤退を余儀なくされた。このとき、本体を先に返した上杉軍は三千、援軍の到来した最上軍は二万近く、この退却戦は苛烈を極め、上杉軍はほぼ壊滅状態にあった。このとき、前田利益は兵300を率いて最上軍の本陣めがけて中央突破をかけ、勝利を確信し油断していた敵を混乱に陥れ、その間に上杉軍は撤退を完遂させた。

このように、わずか一部隊であっても、状況にあった有効な戦法を用いることができたなら、戦況を覆すことが可能となる。
各部隊が、どのような状況で、どのような役割を担い、どのように行動するか、をあらかじめ想定しておくことは、戦闘を優位に進めるために良く知っておくことが必要である。

では、部隊に適した戦法とはどのようなものだろうか。
まず先に、今回の二つの戦闘イベントでの、カード内における攻撃行動の選択肢を見てもらいたい。

<OVER90>
*白兵距離まで移動して敵一部隊に攻撃を行う,白兵,25,4,75&#8232;*近距離まで移動して敵一部隊に攻撃を行う,近距離,28,4,75&#8232;*中距離距離まで移動して敵一部隊に攻撃を行う,中距離,30,3,50&#8232;*遠距離距離まで移動して敵一部隊に攻撃を行う,遠距離,35,3,50
<空爆の開始>
*白兵距離まで移動して敵一部隊に攻撃を行う,白兵,X−10,7,X×4&#8232;*近距離まで移動して敵一部隊に攻撃を行う,近距離,X−5,6,X×4&#8232;*中距離距離まで移動して敵一部隊に攻撃を行う,中距離,X,5,X×4&#8232;*遠距離距離まで移動して敵一部隊に攻撃を行う,遠距離,X+5,3,X×4

白兵近距離の評価値は難易が下がっているが、ARが高く、中、遠距離は評価値の難易は高いがARは低い。この状況は、カード内における自軍と敵軍の位置関係によって生じていると推察している。
この点から、ARの低い部隊は遠距離を、ARの高い部隊は難易度の低い白兵を用いるのが良いと考える。ARは行動回数と言いかえることも出来る。難易が低いからといって白兵ばかりしていると、結果的に少数の部隊しか倒せず、効率的とは言い難くなる。例えば、ARが最低値の10であったとして、OVER90では、近距離以下は二部隊、中距離以上は三部隊撃破可能と差がついてくる。空爆の開始に至ってはもっと顕著に差が現れる。もし攻撃の選択肢を複数もっているのであれば、この点に注意を払って攻撃行動を選択する必要がある。
ただ、一つ捕捉しておくことがある。地上戦においてのみ攻撃力に自身のある場合は、グルーピングによって一度の攻撃による部隊撃破数を稼ぐ手段が存在する可能性がある。グルーピングを行う場合、f:を通すや何らかの特殊が必要となってくるかもしれないが、評価値に余力があるのなら同じ行動を複数回行って攻撃するよりも、一度の攻撃で複数を撃破することができ、ARの節約に繋がる。
宇宙戦においては距離の関係で使用できないだろうが、地上戦だけなら不可能ではないように推察される。


戦略は軍事の要であり、戦術は戦争の要であり、戦法は戦闘の要である。物資の不足や兵士の強化など戦略面が整っていなければ、いかなる軍事行動を行っても勝利には届かない。行軍や連携など戦術面が整っていなければ、いかなる戦争でも勝利はおぼつかない。攻撃や防御など戦法面が整っていなければ、いかなる戦闘でも勝利には結びつかない。したがってこの三つがきちんと整っていなければ、勝利は難しいと言えるだろう。


*終わりに

掲示板ゲームはこれまでのリアルタイム戦闘と異なり、長考するための時間的余裕が存在している。一瞬の決断を迫られるメッセでの戦闘と比較して、精神的にも身体的にも負担の少ない有利な状況と言えるだろう。しかしながら、自国の様子を見ていると提示された戦闘(カード)にのみのめり込み、せっかくできた時間的余裕を有効に使えていないように思えた。もしこのような国が多発すれば、有利な体勢にあっても被害は増大し、不利な体勢にあっては逆転の機会も掴み損なうことになるだろう。
掲示板ゲームは時間的余裕を生み出したが、その反面で行動の自由が制限されているのである。そのため、意表をついた行動によって全体を大きく覆す余地も非常に少なくなったと言える。自国の状況だけを見て判断を行っていては、全体の勝利への道を閉ざすことになりかねない。各藩国が一丸となって、計画的に行動していくことこそが肝心なのではないかと考える。カード内において同調攻撃などを行うことは制約があっても、どのような方向で先へ進んでいくかなどを話し合う時間的余裕が存在しているのである。連動イベントでは、この点をもっと有効に使っていくべきだと考える。
また、アイドレス2はこれまでのアイドレスと異なり、政治面の機能が増加している。したがって、これまでは軽視できた戦略面も、今後は重要な一要因となってくると考えられる。これはなにも、それぞれの藩国独自の政治経済だけではない。もっと広い範囲、帝国、共和国、ひいては、テラ領域全体の状況を踏まえての戦略面が必要になっているように思える。
掲示板ゲームのように各国がそれぞれ部隊を率いて戦わねばならない時は、大国一つでは勝てないのである。複数の藩国が互いに補佐しあってこそ、有利に進めるのだ。今回のOVER90を見る限りでは、自分の役割を考えて行動していても、自分だけの役割におさまり、全体の中での役割として有効に動けていた例は少ないように思える。

このような点から、戦術方向に固まった発想だけでなく、世情を考慮した戦略的視野も踏まえた上での活動が必要となってくると考える。


<参考文献>
中国の思想第八巻 管子
中国の思想第十巻 孫子・呉子
戦争論
引用なし

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